みなさま、こんにちは。
前回の投稿の反応が良かったので、大正時代まで存在した東京の高層建築の先駆け、浅草十二階について、ちょっとお話ししたいと思います。
大正時代は1912年から1926年まで。
15年間。
幕末の雄はこの世を去り、明治以降は軍人と政治家が分かれて次の時代を作っていきます。
その中で、富国強兵政策が採られ、日清戦争、日露戦争と勝利していきます。
浅草十二階、凌雲閣は1890(明治32)年、ウィリアム・バルトンという英国の建築家によって設計。ちなみに、かの鹿鳴館(のちの帝国ホテル)は明治15(1883)年建造。
全長63m、当時の東京市では一番高い建物(東京スカイツリーが634m)として、晴れていれば品川沖まで見えたんだそうです。
明治後期の中心地は浅草で、花やしきや浅草寺がある中で鳴り物入りでの凌雲閣開業。
日本初のエレベートル(エレベーター)も好評を博しました。
建物の中では、今で言うグラビア展みたいな、百美人コンテストなるものも行われていたそうな。
時代は明治からの富国強兵政策により、日清戦争、日露戦争に勝利し、大正年代に入っての第一次世界大戦(1914)でも戦勝国側だったため、プチバブルのような様相を示し、それが享楽と頽廃を招いておりました。
しかし、大正年代に入ってからは、電気館と呼ばれる映画館が林立し、凌雲閣は遊郭・吉原に近い立地であるためにか、十二階下がスラム化してしまい、ガラの悪い場所というイメージがついたようでした。
位置関係はこんな感じです。
モボモガが流行し、デモクラシーが叫ばれた、束の間の平和な時代。
大正天皇が病弱なため、途中から裕仁親王が摂政として治めていきます(のちの昭和天皇)。
そんな時代の終わり、1923(大正12)年、関東大震災が発生。
凌雲閣はあっさり終わりを迎えます。
震災のあと、凌雲閣は陸軍によって爆破解体されたそうです。
帝都はその後奇跡的に復興し、大正天皇が崩御され昭和天皇が即位した昭和16(1941)年までは、東京は世界に名だたるモダン都市になっていました。
しかし、1927(昭和2)年の世界大恐慌により政情不安に陥り、日本は軍部の突出で戦争の道を歩むことに、、、
かつて凌雲閣があった場所はパチンコ屋になっています。笑
地下を、つくばエクスプレスが走っている平成の現在。
そんな平成も、まもなく終わります。
以上、お読みいただきありがとうございました!