我が家からクルマで30分ほどのところに『小夜の中山峠』があります。
この峠はかつて、箱根峠・鈴鹿峠とともにその険しさから東海道の三大難所といわれていました。
この峠には夜泣き石の伝説があり、それに因む子育て飴が名物になっています。
夜泣き石の伝説とは
小夜の中山峠は、旧東海道の金谷宿と日坂宿の間にあり、急峻な坂のつづく難所である。曲亭馬琴の『石言遺響』(文化2年)(1805年)によれば、その昔、お石という身重の女が小夜の中山に住んでいた。ある日お石がふもとの菊川の里(現・静岡県菊川市菊川)で仕事をして帰る途中、中山の丸石の松の根元で陣痛に見舞われ苦しんでいた。そこを通りがかった轟業右衛門という男がしばらく介抱していたのだが、お石が金を持っていることを知ると斬り殺して金を奪い逃げ去った。
その時お石の傷口から子供が生まれた。そばにあった丸石にお石の霊が乗り移って夜毎に泣いたため、里の者はその石を『夜泣き石』と呼んでおそれた。生まれた子は夜泣き石のおかげで近くにある久延寺の和尚に発見され、音八と名付けられて飴で育てられた。
出典:夜泣き石
この赤ちゃんを育てた飴が久延寺の近くの扇屋で販売されていましたので、早速1本購入。
まるで琥珀のようです。美しい!
扇屋全景
水飴はこのかめの中。
陽当たりの良いところに置かないと固まってしまうのだそうです。
噛むと歯についてしまうから、噛まずに舐めて下さいと言われましたよ^^;
そして、お店の前にあるこの歌碑。
私が見たかった西行の歌を刻んだ碑です。
平家によって焼き討ちに遭った東大寺の再建のための勧進に東北へ向かう際
この峠にさしかかった西行が詠んだとされる歌です。
年たけて また越ゆべしとおもひきや
いのちなりけり さよのなかやま
年老いてから、この山をまた超えることができる(旅ができる)と思っただろうか、いや思いはしなかった。小夜の中山を越えることができるのは、命があるからこそだなぁ。
この時、西行69歳。
今から830年前のことです。
小夜の中山はクルマで登るのも大変なほどの険しい峠です。
そこを老齢の西行が越えていったことを思うと、
命なりけり…が西行の心からの言葉だったことを実感します。
風が強い日でしたが、扇屋から更に上の小夜の中山公園まで登ってみることにしました。
木々の間の道は日も射さず寒々としていて、風の音だけが激しく聞こえます。
大した距離ではありませんでしたが、坂道を一歩一歩進みようやく辿り着いた公園は、
一段と激しさを増した風の冷たさに、耳がちぎれそうです。とても長くはいられません(-_-;)
それでも、遠くに富士山が綺麗に見えましたので、寒さに震えながら写真を撮りました。
帰り道では、粟が岳の『茶』の文字もパチリ。
今回は、この近辺で天皇杯を受賞した程の質の高いお茶が作られていることを聞いて、訪ねてみようと思い立ったのですが、
さすがにこの寒さではお茶はこんな様子^^;
『小夜の中山』は古来多くの歌集、句集、紀行文に取り上げられ、代表的な和歌や俳句の碑が道沿いに建てられていたり、浮世絵美術館や史跡が沢山あることを後から知りました。
季節の良い時にまたゆっくりと訪ねてみたいところです。