コメントありがとうございます!
おっしゃる通り、自分も数値化の代償は大きいと思います。
ただ、まず前提として、「欲望のエデュケーション」自体は数値化を推し進める概念ではなく、「潜在的な感性を開花させるためのニーズ教育」を意図した概念なので、どちらかと言うと感性を重要視しているものと認識しています(自分もどちらかと言うと感性重視です)。しかし、自分が考えているような cryptoeconomic なプロトコルによる合理性のデザインをその手段の 1 つと考えてしまうと、確かに何らかの数値化が生じてしまうはずなので、そのデメリットをうまく緩和する必要が出てくると思います。
一方、数値化にはメリットもあるはずで、例えば「わかりやすい成果の可視化」という意味で、モチベーションの源泉になるとも思います(筋トレの原理)。また、その数値が本質的なのであれば、極論、その数値を高めるための手段が目的化してもよいほどの価値を持つこともあるのかなと思います。ただ、既存の世界では、数値を高めるための手段がハック可能であることも多々ある(例えば、Twitter でフォロワーをお金で買うなど)ので、ここをハックできないようにする工夫などが必要だとは思います。
数値化を手段として感性が緩やかに開花していく状態、一見矛盾しているように聴こえるのですが、うまくできる方法を模索してみたいなと思っています。
RE: 雑記:プロトコルと「欲望のエデュケーション」